地震のこと~父、帰京。 [♪日々のぼんやり]
地震と津波の被害を受けた方々に、心からのお見舞いを申し上げます。
亡くなられた方々へのご冥福をお祈り申し上げます。
そして、1日でも早く全ての方々に平和な日々が戻りますように。
仙台にいる父の話。
記録として残しておきたいと思いました。
父から聞いた地震の日の事をUPしましたので、
スルーして下さっても構いません。
父は地震のあった日、仙台から帰京する予定でした。
ちょうど、新幹線に乗ろうと仙台駅にいたとき地震にあったそうです。
エスカレーターに乗る手前で揺れだし、立っていられない程だったそう。
父の近くでは天井から水が落ち始めたそう。
別の場所では駅舎の屋根が崩落したところもあり、
「もう、ここで。。。」と思ったそうです。
すぐに母に連絡し、無事である事と東京に戻れない事を伝えると、
ぶつんと電波が届かなくなりました。
コートを頭にかぶって慌てて外へ出て、落ち着いて帰宅したそうです。
さっと自宅に戻った父はお風呂にお水を溜め、
お湯を大目に沸かしコーヒーも入れ、お鍋用のガスコンロを出して
断水と停電に備えたそうです。
(後々、帰る途中のコンビニで何か買っておけば良かったけど、
帰るのに精一杯で頭が回らなかったな~、なんて言ってました。)
父は30数年前の宮城県沖地震を経験しており(私が保育園児の頃)、
あの時の経験が生きたようです。
食べ物は冷凍食品をガスコンロで暖めて食べていたそうです。
でも、夜になれば真っ暗闇で寒くて。。。
何度も揺れてとてもとても不安だった事でしょう。
携帯が繋がらないため、夜中に公衆電話に並び母に電話を入れていました。
ちょうど、被災地の公衆電話が無料で開放されてからです。
情報が入ってこないため、不安だっただろうなと思います。
実は父、数年前に胃の手術をしたのですが量が食べられない分、
小分けにして食べないと血糖値が下がり倒れてしまいます。
加齢のためか、片耳が聞こえづらくなり補聴器も必要です。
こんな中、地域の放送など聞き逃したら!家で倒れていたら!
など私達家族もとても不安な毎日でした。
そんな中、3/12の夕方に上越新幹線が動き出したとのニュース。
弟がぐるっと回って帰ってこられるのではないだろうかと思い立ち、
夜行バスなどを探し始めると、県庁前から山形行きのバスが出ているとの事。
「何もせずに待っていてもしょうがない、とにかく行ってみる。」
父は朝からバスを探しに行ったそうです。
ところが、バスを待つとすると東京行きの最終に乗れず到着地のどこかで
一夜を過ごさなければいけないかもしれないという事態。。。
周囲の方々と声を掛け合って、タクシーで山形の鶴岡まで向かうことになりました。
その間、弟が山形から東京行きの最終バスを最後の1席をネットで確保。
父達は夜の21時に無事に鶴岡に到着し、22時過ぎの最終バスに乗る事が出来ました。
父は翌朝の6時半に渋谷に到着し、ふらふらと帰って来ました。
帰宅するとすぐに孫の顔を見にきたのですが、疲れきった父の顔は
やつれて白髪が増えた感じがしました。
父の教え子の方が仙台におり(pigletと同い年のお子さんもいます)、
ご主人が仕事で東京にいたため、帰宅出来ないと困っていたそうです。
父が東京に帰ったルートを知らせると、旦那さんは逆ルートで仙台に入ったそうです。
お子さんと奥様の元気な顔を見る事が出来て喜んでいらしたとか。
この日、googleの消息情報で岩手に暮らす親戚の名前を見つけ、
なんとか連絡を取る事が出来ました。
宮古市の親戚もみんな無事で(家は浸水や流されてしまったところもありますが)
高齢者ばかりですがなんとか元気だとの事。
母は親戚の無事が確認出来て涙を流していました。
被災地ではまだまだ大変であるとの連絡が来ます。
福島の友人は所有していた建物が流され、原発のため避難中だと聞きました。
宮古の親戚は避難所を出てなんとか家に帰り、やっとお米が買えたと連絡が来ました。
私に出来る事と言えば、募金、節電、買い占めをしないこと。
そして、子ども達のためにも毎日しっかり生活する事。
私達がしっかり生活をする事でお金が回る事も大切なのかなとも考えています。
なんだかまとまりのない文章で申し訳ありません。
心にためていた事をだだだっと書いてしまいました。
あとで消してしまうかも。
放射能の問題が1日。。。いや、1分でも早く収束する事、被災地の復興がどんどん進む事、
そして、みんなが安心して生活出来る日常が早く戻りますように。
puppe